乳ガンつれづれ・・・A
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2005年3月9日  リンパ浮腫
 1ヶ月ぶりに病院だった。
ここしばらく肝機能の数値に少し問題があって、たくさんの薬を飲んでいた。先月の検査でほぼ正常値になってきて今日はもう血液検査もなく、薬も終わりになった。1ヶ月分貰う薬はかさ高く、次にDr.に会う日はこれをぜーんぶのみ終えてからと思うとずいぶん遠い先のような気がしたものだ。.これからホルモン剤アリミデックスだけになる。肝機能が落ちていたことは自覚症状もあって(抗ガン剤投与時の経験から)自分から訴えて検査をしてもらったのだ。たしかにもう今はだるさもなく、バス停から坂道を上ることも平気になった。ほぼふつうの状態といえる。これまた懸念された心機能も24時間心電図と心エコーの結果クリアーした。やっぱりいろいろありますわ。
血液検査の報告書はその場で印刷してくださるので、肝機能や腫瘍マーカーの変化を自分でも注意しておきたい。
 Dr.は私の左手をひと目見るなりリンパ浮腫がひどくなったのではと指摘された。そうなんです。「リンパマッサージをしっかりやってここで止めましょう」と言われた。浮腫は一度なるとなおらないらしいけれどひどくならないうちにくい止めることはできるという。思い出した時に5分なんてとんでもない、1回30分だって。それを日に2,3回も。これは不合格もはなはだしかった。左手で重いものは持たないようにしなければいけない。たくさんの買い物や土の入ったテラコッタの鉢は いいはずがない・・・。
「何もしないのが1番いいのだけれど・・・」と庭いじりを趣味とする私をよくご存じの先生はおっしゃる。私は「シーズンですからねえ 」と言ってしまった。しゃーあないなあと言う空気が 先生と私の間に流れた。こんな患者ですみません。
ただ、リンパマッサージといってもよく分からないままやっても効果はのぞめないので、きちんとしたやりかたを病院のリハビリ科で指導してもらえないか、と前にDr.にかけあったことがある。でもここでは無理のようだ。
院内で一人でも専門家を育てて私のような浮腫を起こしたした患者を指導してほしい。リンパ郭清が普通の乳ガン手術である以上その2,30%に起こりうるものなら決して私一人の問題ではないだろうと思うから。
でも今現実の問題として私はマッサージを急ぎやらなくてはならないのだ。
方向としては末梢から心臓の方へ。 大まかなことをDr.に教えていただいてはいる。本も手に入れた。でも具体的にどの程度の 強さでやるのかなど・・・その実際はやっぱりわからない。

2005年5月9日  上京   リンパドレナージュ

 思い立ってリンパマッサージの指導を受ける為に東京へ行った(夫も同行)。と言っても貧乏性の私はいくつも目的を兼ねての上京である。いつも親しみを持って見ている乳ガン患者SさんのHPのなかに紹介されていたリンパ浮腫専門のFマッサージ治療院である。事前にその先生と連絡を取り予約を入れた。 東京はもう長いこと行っていないし不安でいっぱいであったがそんな私をお見通しで、渋谷まで迎えに来てくださるという。約束の場所はかの有名なハチ公前。さてそのハチ公前とやらに果たして行けるのやら 、お上りさんはどこまでも不安である。でも今は便利ですねえ。携帯の時代です。携帯を鳴らして話しながら初対面の私をすぐに見つけてくださった。
 マンションの1室にある治療院で丁寧なマッサージとやり方の指導をうけた。夫にもそのやり方を実地にやって覚えてもら ったのは良かったと思う。夫婦で来る人はまだ少ないという。帰ってから夫にマッサージをしてもらうのが日課になった。マッサージは単に手の先から心臓の方向にするだけでなく、まず胸や背中から健康なリンパ節にむかって流し、空きを作ってから(ここがポイント!)肩から、二の腕、手首、手の先からと 徐々に送って行く。もちろん方向はまちがえてはならない。 なでるように。
 その後F先生が連携して治療に携わっておられる、東京共済病院へ。こちらも予約していただいていた。乳腺専門医とハドマーという機械によるマッサージの開発技術者とこのマッサージのF先生とチームを組んで治療にあたっておられる。医師の診察、5cm間隔での太さの計測(左右)そして30分ハドマーによる波状の機械的な圧迫(空気圧)、丁寧な説明と注意など実にその間1時間であった。点滴室みたいにカーテンでしきったベッドがズラリと並んでいて、腕だけでなく足の浮腫の人も多いようだ。患者はひっきりなし。一番驚いたのは会計の支払いがわずか200円だったこと。間違いではないかと確認したぐらいである。
 帰ってMyDr.に報告したけれど「東京だからできるのでしょうねえ」とのこと。つまり病院経営上採算がとれるかどうかということらしい。

2005年6月8日 2年検診クリア
 月1回の定期診察。
先週おこなった2年検査のCTや腫瘍マーカーなど各種検査を全て無事クリアーできた。
これでまたがんばれる。感謝。
でも昨日になって腰が痛いような気がして骨転移か、お風呂で手術跡の近くに赤い虫さされのようなものを見つけては(実は翌朝になったら消えていた)局所再発(皮膚転移)かと夢見も悪い。「こわい結果を聞きにきました」と言ったら先生笑っていた。「大丈夫ですよ。」  それからは私の口も軽やかになり、先日の40年ぶりの学生寮時代の同窓会で10人で囲んだテーブルで、うち3人も乳ガンの手術をしたひとがいたと「これってすごい確率ですよねえ」と私。
先生も驚いておられた。
 さてこの病院に来られてこの2年間、MyDr.が乳ガンの手術をされた80人のうちリンパ浮腫になったのは私1人だけだそうである。(1人では浮腫の専門家もハドマーも導入してはもらえませんねえ。)しかもその栄えある?手術第1号が私であった。
東京で買ってきた着用中の腕の圧迫スリーブ(親指つき)と手の甲圧迫用の手袋とその値段を披露して帰ってきた。
次回から3ヶ月に1度の診察になった。前にそうなりかけたとき肝機能が落ちて、またずっと月1回のペースで通っていたのだ。アリミデックス(ホルモン剤・アロマターゼ阻害剤))3ヶ月分(1日1錠)、17740円なり。

2005年11月29日 リンパ浮腫その後

久しぶりの更新です。それだけ元気でいたということなのかもしれません。
リンパ浮腫に関しては相変わらずで、マッサージをしても目に見えては改善しないものだから、なかなか・・・。

 

6月

 もうずいぶん前になるが6月のこと、このHPに書いたことがきっかけで、近所のM先生から私がマッサージで東京まで行ったという話が私の病院の院長先生に届いて、M先生を通して「ハドマーがあるはず」なので病院に来るようにという連絡をいただいた。すぐに行って院長先生にお会いしたところ、「せっかくおいでいただきましたが」とずいぶん恐縮されながら、2年前に廃棄処分したことがわかった由。最近は手術も小さくなって、浮腫になる人が少なくなったことによるらしい。残念。私が使ってあげたのに・・・
主治医には次の診察日(約3ヶ月後)に報告。「はい、院長先生から聞きましたよ」
ハドマーについて主治医は「やったほうがいいでしょう」という見解だった。
でもどこの病院にあるのか、どうやって調べたらいいのか・・・気になりながら日は過ぎた。

 

9月

 以前から同じ病気の仲間と話したり、情報交換ができたらいいなと患者会に関心を持っていたが、残念ながら私の病院内にはそれはない。全国組織のあけぼの会、兵庫支部に加えていただくことにした。直接的にはリンパ浮腫についてなんとかしなければという思いがあった。

すぐにおしゃべり会に誘われて参加。新入りの私を暖かく迎えてくださったのである。20名ぐらいの出席者のうち、浮腫のかたはひとりあったが包帯や弾性スリーブで対応されているらしい。ハドマーは病院から1ヶ月借りたものの続かなくて返したとうかがった.(この方の病院は遠い)

そのことよりも、参加者の乳ガン歴が26年、17年、20年などと自己紹介されたかたがいて、みなさんがお元気そうな様子にほっとする。ふつう乳ガンでは一応の区切りは10年とされているが、この方々は10年をとっくにクリアーしてなお、患者会のお世話役を引き受けたりしてずっと乳ガン仲間としてつながっていてくださるのだ。これは心強く大変うれしいことであった。
おりしも乳ガン月間が近づいていて、ピンクリボンの活動や、講演会、シンポジウム、顧問医師による相談会など、一気に情報が集まってきて、患者会に入ってほんとうによかった。

 ところで私のリンパ浮腫の悩みはまだ続く。どこかにハドマー(またはメドマー)がないか・・・ついに片っ端から電話作戦に出た。まず通いやすいところが絶対条件だ。近いところから探していって、なんと幸運にも早くも3つ目で見つかったのである。SS病院。
なんだこんなところにというくらいあっけなく見つかった。

それにしても設備機器などの情報はどこかで集約されていてすぐに教えてもらえるシステムがあればいいのにと探しながら思ったことであった。なんだかずいぶん時間もかかり、遠回りしてきたような気がしてならない。

ここでまずMyr.に報告しなければ、いえ見つかりましたよとお伝えしたかったが、次の診察予約まで2ヶ月以上ある。これはいたしかたないことである。とりあえずSS病院を訪ねた。
一応外科の診察を受けて、そこからリハビリ科へオーダーの形をとる。
そして週1回の新しい病院がよいが始まった。

ハドマーを装着する前に理学療法士が肩から腕、手首、指に至るまで、丁寧に動かしてくれる。そしてハドマー。そのあと自分でやる運動も含めてゆうに1時間は超える。
リハビリに行くことで自分なりに気をつけて動かしたり、マッサージをするようにもなり、それはよかったと思う。

 

11月13日
 大阪で別の患者会 虹の会主催のリンパ浮腫の講演会があることを知って参加した。

大阪にはリンパ浮腫専門のクリニックがあるそうで、そこの先生のお話と、徳島の有名な専門の病院からの理学療法士にマッサージの実際について講習を受けた。
まだ日本ではこの分野の専門家が少なく、治療が進んでいないのが実情のようである。
マッサージは単に末梢から中心へというだけでなく、健康なリンパ節へ向かって先に流し、空きをつくってからそこへ送っていくというものだった。これは東京のマッサージの先生と全く同じ説明でそのことを再確認したことはよかったと思う。

ところが話の中でハドマーなどで強く圧迫することはさけた方がよいようなお話があった。

苦労してハドマーを見つけて今通院している私としては混乱してしまった。質問の時間に手を挙げかけたけれど時間切れで、それでも終わってから講師の先生のところに行ってもう一度確認した。
「先生はハドマーをあまりおすすめにはならないお考えでしょうか?」と。
皮膚を動かす程度に優しくマッサージをするのが基本で、強く圧迫することはよくない。ハドマーをどうしても使うなら「一番弱く」とのことだった。

さあ困った。MyDr.S先生、どうしたものでしょうか?
診察日が近づいて,Dr.には報告やら質問したいことがいっぱい。でもいつも話したいことの半分も言えない・・・年甲斐もなく緊張するし、たくさんの患者が待っているし・・・
しっかりメモしていかなくては。でないと次はまた3ヶ月後になってしまうから。

2005年12月28日

 今年もあとわずか。1年をしめくくるに当たって思うことを少し書いてみたい。
まずはこの1年元気でいろいろなことをやったなと思う。そしてできたことをありがたいと思う。

 ホームページはカウントが22000を超えて、大勢のみなさんが応援してくださることをひしひしと感じた。それは更新するための大きな力となりこうして継続できたことに感謝の気持ちでいっぱいである。1日おきに日記の更新するために、庭の植物たちを注意深く見つめることで驚きや発見があったし、旅に出てはあとでまとめることを意識するとものの見方、感じ方もおのずと真剣になれたように思う。同じ旅行してもこれは得した気分。また更新は私の体を気遣ってくださるかたや遠くに住む子どもたちにも私の健康状態を示す一つのバロメーターになっていたようである。書いている本人もおかげで毎日が楽しく、張り合いがあったと言うのだからこの上ないことであった。

 さて来年、私はすでにやりたいことを公言している。
aruko barusa mo nepalma jyana chahanchu〔来年私はネパールへ行きたい〕
ネパール語の先生が都合で代わられたのだが、新しい先生に「ネパール語を習ってどうしたいのか」と聞かれた。私はネパールが好きで関心があって、とりあえず一度行ってみたいと思っているけれど、その次のことまでは考えてはいないことに気づいた。たとえば日本語を教えに行くとか、滞在して何かの活動をするとか、ネパール語を何らかの形で生かして行動するなどという大きな目標は持っていないのである。先のことまで、長いスタンスで考えられないことに気づいて、ふとこの病気になった現実を思い知ることになった。
ま、行ってから考えよう。それもありかな。

 今年もたくさんの花の種を播いた。
2年半前、乳ガンを宣告された頃は、ちょうど春の花が終わって種が稔る時期であった。入院を控えていながら種を採っては袋に入れていた。「懲りない種採り」と題して当時花ネットのスタッフ専用掲示板に、種採りしている自分の様子を醒めた目で書き込みしたことがある。「これって来年も種をまくつもり?できるつもり?」と。
種をまき育てて開花するのは、半年、あるいは1年後。今、私の手の届く未来もそんなものである。でも、こうやって1年、また1年をつなぎ、積み重ねていけば意外に未来がひろがっているかもしれない。種をまきながら希望をつなぎ、命をつないで一歩ずつでも進んでいければそれでいいのではないかな。種まき大好き人間はそんなことを思っている。